ここ3,4年、私はナイキがお気に入りだった。購入先は横浜市内のスポーツ・オーソリティか、US出張の際のショッピング・モールやアウトルック・モール。元々スポーツカジュアルが私が一番「らしく」できるスタイルだったし、ナイキのシンプルでもちょっとおしゃれなデザイン、抜群の着心地、高すぎるということはない価格等が普段着にナイキを買っていた理由だ。
お気に入りだったという過去形を使っているのは、2,3ヶ月前からもうナイキは買わないことにしたから。理由はいたって単純。この頃東京周辺で40代、50代の品のよさそうな方々がナイキを着ているのをよく見かけるようになって、私にとって今やナイキはそれがブランドイメージになってしまったから。
私は先日44歳になった。少しでも若く見えたいんだろうなぁ。だから着心地が良い事は私には凄く大切かもしれないけれど、同世代の人たちのような格好はしたくないね。私が見かける40代、50代のナイキを着ている人たちは、お行儀が良くて、まじめそうで、あまり突拍子なことはしなさそうな人たちだ。私にとって、そのブランドイメージが一番気に入らない。私が欲しいのは、ちょっとお行儀が悪くて、不真面目で、過去なんかどうでも良くて、今をフルに生きて、将来に夢を託す、というイメージだ。若さに憧れた格好、というのはイヤですが。
マーケティングでは、ブランド効果が高く評価されていいるが、ブランドイメージなんてこんなものだ。ほんのちょっとのことでブランドイメージは変わってしまう。多分ナイキは日本での高齢化社会で売ることを意識して大半の日本人に受けるグランドをつくったのだではないだろうか?売る、ということでは、素晴らしいイメージ作りだと思う。
どこかでマーケティングの現場で生きてきた方が、客の囲い込みなんてものはない、と言っていた。結局その客にとって価値のあるものでなければ買ってもらえないということなのだろう。大半の人たちにはナイキは更に買う価値のあるブランドとなっていく中で、私は去っていく。囲い込まれてはいなかった。
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