映画にもなった、数学者ジョン・ナッシュの伝記『A Beautiful Mind』、(和書『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』)を読むことが、心、精神、奉仕について深く考える機会になった。タイミング的に、今の私の自分の年齢と社会的興味範囲だからこそ、はっと気がつく事が多かったこともあると思う。何故1900年代初期にアメリカで数学、科学が花咲いたか。その連鎖反応で起こったビジネスの繁栄。そもそもそれらのきっかけを1800年代の終わりから作った人達のビジョンと信念。学者達、ビジネスマン達、その家族達の一人一人の苦悩と喜びが鮮明に描かれていて、現状の日本で活躍している人達や、蔑まれている人達とも変わりはない。
場に関して、どのような場がそこにいる人達に良い刺激を与え、全体的に成果をもたらすかということに関しては、この本に沢山の説得力のある事例があった。大学のティータイムがひとつ。プリンストン大学では、他の日常のイベントには参加しなくても良いが、ティータイムだけは絶対参加しなくてはならないというルールがある。それは、そこでのインフォーマルなコミュニケーションが生徒や教授の間での大切なアイデア交換と新しいアイデアを生み出すきっかけになる場だと皆が理解していたからだ。また、ナッシュがMITの教諭だった頃、ニューヨーク大学に元気が良い数学者達が集まっていたので、ナッシュはいつもニューヨーク大学のCourant研究所のティータイムに参加していた。
ティータイムは、集中して仕事をする数学者達の唯一の他花受粉の場で、複数の話がきける場だった。(今でもそれが続いていると思われるが?)物理学者達は、現在どの問題が一番価値があるかいつでも分かっているということに比べ、数学者は内省的なのでそうではないと言われている。ティータイムはそのような問題を緩和する機能もある。
意味のあるインフォーマル・コミュニケーションには物理的な場も必要だが、その場の運営の優先順位の高さも必要なわけだ。
ナッシュがランド(RAND)で働いていた頃は、ジョン・ウィリアムズが特別にデザインした「予知せぬ出会い」を最重視して作られた場所だった。ナッシュは問題を解くことが好きだったので、よく物理学者達が数学で困っていると、それらの問題を解決してくれた。そのためか、よくオフィス内の通路をぐるぐる歩き回っていたらしい。どこの会社にもナッシュのような人物がいると思う。もちろん時には鼻を突っ込むのが好きなだけで、これといって良いアイデアや、問題解決方法を出してくれないような人物がうろうろしていることも確かだが。
ナッシュの数学者、物理学者たちの時代だけではない。1700年代にアメリカが独立戦争をしかける準備をしていた時、ベン・フランクリンが色々なプランを立てていたパリのカフェ(今でも存在している)、産業革命のはじめのイギリス、ロイド銀行のサロン、ピーター・ドラッカーが青年時代にすごしたウィーンの知り合いのサロン、i modeのコンセプトを生み出した、松永真理氏のサロン。これらはインフォーマル・コミュニケーションの場の典型例だ。
よく企業で、うちにはサロンのようなインフォーマル・コミュニケーションはいらない、という人達に出会う。もちろん部署や仕事の内容によっては、そのような機能は必要無いかもしれない。ただ確かなことは、アイデアを出し合うこと、情報共用することが仕事の成果に直接関係がある機能では、「サロン」は絶対必要なのではないだろうか。
全く反対の意見ですが、こちらも併せてお読み下さい。社内コミュニケーションとムダ話しのはき違い
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