久しぶりにナレッジ・マネジメントそのものについてディスカッションした。大企業で長年最先端の総合的なモノづくり(デザイン、ブランド、製造管理)を実践し、ヒット商品を出してきた方とのお話だった。
何故ナレッジ・マネジメントの考えが衰退してきたか?議論をするうちに、今まで自分の中でもやもやとしていた考えがまとまっていった。
ナレッジ(知識)は生活をするにも、仕事をするにも不可欠だ。ナレッジ無しでは人はなにもできない。企業においてもナレッジ無しでは何もできない。私はナレッジ・マネジメント事態は衰退しているとは思わない。その言葉自体は比較的新しい(何百年という歴史はない)けれど、ナレッジ・マネジメントは企業において以前からあったし、これからもなくならない。体の臓器のどれかがひとつ無いだけでも体は生きていけないことと同じで、ナレッジ・マネジメントも無ければ企業は成り立たない。ただ、ナレッジ・マネジメントだけで企業が繁栄するかというと、それは不可能だ。
きっとナレッジマネジメントが衰退していると思われるのは、それだけで効果を判断しようとしているからだと思う。ナレッジは人に宿る。人が形式知も暗黙知も持っている。人が企業のあるポジションから動く際、次の人に全てのナレッジが移行されていない限り、ナレッジはその部署から消える。(次の人に全てのナレッジを移行すること自体不可能だが。)どんなに分厚いマニュアルを残しても、どんなに分かりやすいビデオを残しても。その人が持っている人的ネットワークにある知識全部は残せないからだ。
ナレッジは人とセットなのだ。ナレッジ・マネジメントには、人のマネージメントが不可欠なのだ。
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