今日大企業の役員へメールしたメッセージ:
大変お世話になり、有難うございます。
本日は偶然にお会いすることができ、とても嬉しいでした。
今日はいつも困らせるような質問をしていたお返しを倍返しで頂きました。
「優秀な人は他の人を雇ってあげなくてはならない。」
自分がそんなに優秀だとは思えませんが、社会貢献度を考えてビジネスをするということを、人を採用する、という事に結び付けていませんでした。CEさんから渇を入れられるまでは、自分ができる社会貢献は、1.社会貢献できる子供達を育てる(男の子3人の母親なので) 2.自分の参加する仕事で貢献する、ぐらいしか考えたこともありませんでした。
CEさんの言葉はショックでしたが、嵐の中の灯台のような光でもありました。
有難うございました。心より感謝致します。もしも小間使いでもしてCEさんのお役にたてるのであれば、どうぞ何なりとお申し付け下さい。数年前に「私は須田さんの僕です」と冗談で仰っていましたが、真実は逆ですね。
私がCEさんの僕です。
久しぶりにナレッジ・マネジメントそのものについてディスカッションした。大企業で長年最先端の総合的なモノづくり(デザイン、ブランド、製造管理)を実践し、ヒット商品を出してきた方とのお話だった。
何故ナレッジ・マネジメントの考えが衰退してきたか?議論をするうちに、今まで自分の中でもやもやとしていた考えがまとまっていった。
ナレッジ(知識)は生活をするにも、仕事をするにも不可欠だ。ナレッジ無しでは人はなにもできない。企業においてもナレッジ無しでは何もできない。私はナレッジ・マネジメント事態は衰退しているとは思わない。その言葉自体は比較的新しい(何百年という歴史はない)けれど、ナレッジ・マネジメントは企業において以前からあったし、これからもなくならない。体の臓器のどれかがひとつ無いだけでも体は生きていけないことと同じで、ナレッジ・マネジメントも無ければ企業は成り立たない。ただ、ナレッジ・マネジメントだけで企業が繁栄するかというと、それは不可能だ。
きっとナレッジマネジメントが衰退していると思われるのは、それだけで効果を判断しようとしているからだと思う。ナレッジは人に宿る。人が形式知も暗黙知も持っている。人が企業のあるポジションから動く際、次の人に全てのナレッジが移行されていない限り、ナレッジはその部署から消える。(次の人に全てのナレッジを移行すること自体不可能だが。)どんなに分厚いマニュアルを残しても、どんなに分かりやすいビデオを残しても。その人が持っている人的ネットワークにある知識全部は残せないからだ。
ナレッジは人とセットなのだ。ナレッジ・マネジメントには、人のマネージメントが不可欠なのだ。
言葉が人を作るという。言葉は組織を作るともいう。どの本だったか良く覚えていないが、企業の中で使われている日常の言葉がその組織の状況を表す。
モンゴルの遊牧民も、無味乾燥な事務所の会社員も、人は五感を使って毎日を過ごしている。その毎日の中言葉は大きな影響を与える。企業が選択するスローガンも大きな影響を与えうる。しかし、ビジュアル技術が発達したためか、言葉の意味がどんどんあいまいになってきていて、特に長年英語に憧れてきた日本では、あいまいな意味の英語を日常生活に着々と取り入れてきたため、英語圏式のコミュニケーションを身に着けた少ない人たち意外は、ただでさえあいまいな言語が物事の定義を更にあいまいにさせている。
たとえば、会社のスローガン。The Possibilities Are Infiniteを訳すと、可能性は無限、となる。Innovation Into the Futureは将来への革新。Shift the futureは将来へ移す。これらの聴こえの良いローマ字スローガンを見て、社員は何をイメージするのだろうか?英語が流暢な人なら良い。でも外資系で無い日本人社員の何パーセントがそうだろうか?上記のスローガンを持っている会社は私に関係の無い会社だが、訪問する色々な企業で「あなたの会社のスローガンの意味は何ですか?」と聞くと、同じ会社で答えはばらばらだ。よく出てくるコメントでは、「訳分かんないですけどね」というもの。何かにつけて指針となるべきスローガンがこれで、企業がまとまるのかというと、私はそうでないと思う。
言葉は人に大きな影響を与える。カッコいい言葉を使ってあいまいに話す人は相手にされなくなる。企業がカッコいいスローガンを使って社員に良い影響を与える事はできないと思っている。
日系大企業のコンサルタントとしてお仕事をされている方とお話した。現在携わっているプロジェクトでは、商品の製造に関しては社内で政治力のある人の意見で決まり、製造は能力の高い職人の技に頼り、製造目標はトップリミットに上乗せした数字になり、製造現場では、それは気合で作るんだ!とはっぱをかけているのが現状、という話だった。
話を聞きながら、失敗の本質で読んだ世界第二次大戦の日本軍の戦い方を思い出していた。勇気は十分にあった。個の能力は高かった。しかし大きな観点を考慮した戦略と、それに基づいた決定的成功要因とそれを達成するためのシステマチックなプロセスを作り、実践させることができていなかった。今日本でもがいている企業群は、この日本の文化の傾向を克服できないまま進んできたからだろうか。そして、この傾向を克服し進化できた日本企業がたとえ50年企業であろうと繁栄できているのだろうか。進化を遂げることができた企業は、どうやって変わってきたのだろうか。それとも、進化というよりも、最初の企業の文化が戦略とシステマチックなプロセスの実践だったのだろうか。
104日ぶりに復帰しました!
ここに書くことに対するフォーカスが自分でも良く分からなくなっていたので、多分もうウェブ上で私が経験したことや、考えている事を発信する意味はないだろうなぁ、とまで思いながらも、ウェブからこのサイトを削除をしないまま3ヶ月以上経ちました。また書こう、と思ったのは、まずは自分がウェブでの情報をフルに活用していることと、結構多くの知らない人たちがトピック別に検索した上でここに来てくれているのがずっと続いているいうことでした。最近公式の場で紹介頂いた際、このサイトのオーナーとして紹介頂いたことも影響しました。
ここ一年間ワークプレイスに関しての仕事は、レイアウトや、デザイン、家具什器等に関わることは少なく、チェンジマネジメントや、場の運営に関することがメインでした。先日ここ3年間密に関わってきた事業所のトップのワークプレイスのインタビューに同席した際、「場作り(インテリアを変えるワークプレイス作り)だけでは(働き方を)変えることはできないが、ワークプレイスの改革は必要。」という発言が印象的でした。
インテリアのハードの要素については、色々な可能性がありますが、それを実際にどのように企業の進化と繋げていくかを理解し、実践できる人は現在とても少ないです。私はワークプレイス・プロジェクトの現場であらゆるノウハウを身に着けてきたことで、場作りの職人になりつつあると自分では思っています。でも、最近、まれな職人であることよりも、できるだけ多くの人にこのノウハウをシステマチックに広げて行き、できるだけ多くの人たちが、情報社会化で仕事をするに辺り、自己実現を達成するための働き方をができるワークプレイス作りに貢献したい、という思いが言葉になってきました。あらゆる角度から、現場に基づいたノウハウや、多くの方から頂いたインスピレーションをこのサイトで皆さんと共用し、育てて行きたいと思っています。
まだ日本語で国内に発信することをメインにするのか、英語で世界に発信することをメインにするのか決めかねていますが、それもまた書き続けていれば答えが出てくるのでしょう。
これからも宜しく!
「美女は三日見たら飽きて、ブスは三日見たら慣れるから、うちのマヤも大丈夫よ」と18年前USペンシルバニア州に当時1歳の娘を持つ友人が言った。私から見たらマヤちゃんは十分可愛かった。でも、お母さんは他のハーフの女の子たちと自分の娘をくらべていたのかもしれない。とにかく面白いことを言う人だなあ、と思い、ずっとその言葉を覚えていた。
ワークプレイスもそうだなぁ、と今日ふと思った。ワークプレイスは効果的かつ美しいところは1年いたら飽きて、非効果的かつきたないところは1年いたら慣れる。少なくとも私自身以前スチールケースで働いている頃、最初はその良いデザインと快適さに感激していたが、1年もたつとそれが当たり前になっていた。訪問者に羨ましがられて有難味を感じる、とういう程度だった。だから毎年部分的にでもオフィス・デザインをリニューアルすることは、自分たちが最先端のワークプレイス伝道者であるということを認知させるために効果的だったと思う。また、私のクライアント企業のほとんどが、社員が今のビジュアル的に酷いオフィス・デザイン、効果状況にどっぷり漬かりなれきっているため、それを変えるには大変なエネルギーが必要だ。
今日、パーツセンターの中にある自分達の事務所エリアを創らなくてはならない、という方々を、私のずっと携わっているプロジェクトで結果が出ている企業にお連れした。そこには少なくとも月に1回ぐらい3年間通っているが、訪問の対応をして下さる予定の担当者が忙しくて少し遅れて来るということだったので、待っている間に3年前にたてたそのワークプレイスのコンセプトのプレゼンを引っ張り出して私の方からプレゼンした。プレゼンしながら、感心した。作られた場所は、コンセプトを建ててから2年後に着工した場所だったが、オリジナルのコンセプトに忠実に作られていた。
きちんとしたコンセプトを、分かりやすい形で提示していれば、ちゃんとそのままできるのだ。納得できる内容で、コンセプトを伝えておけば、実践してくれるのだ。
関係メンバーで一緒に作ったコンセプトのプレゼンと、2年後に着工したに関わらず、それに忠実に出来上がり、今ユーザーにも来客者にも喜んで使って頂いている場を見て、小躍りするぐらい嬉しかった。
「神経の活性剤を埋め込むには、視覚よりも聴覚を利用した方が簡単だ。医学の世界では、書き言葉を理解するほうが、話し言葉よりも29パーセント余慶に時間がかかるといわれている。・・・
目は見たものを覚えるという動きでは、あてにならない。警察の捜査活動で最も混乱して困るのは、同一の事件に関する複数の目撃者の証言が一致しないことがよくある、ということだ。ただし、人が口にした佐護のひとことだけは、たとえそれを真剣にきいていなかったとしても、思い出せるものだ。・・・
目から入った情報は脳の画像を記憶する領域に入り、一秒以内に消滅する。耳から入った情報は、音の記憶領域に入り、それが消滅するまでにはほぼ5秒かかる。・・・
嫌でも目に入る仕掛けを、単なる見やすさや、あるいは「交通量」と混同しないでほしい。嫌でも目に入るということは、景色から抜け出したランドマークになれる特性のことだ。」
ロイ・H・ウィリアムズ、広告の天才たちが気づいている51の法則
業界の人であれば、そんなの当たり前、という知識が沢山ある。でも、別の業界の人間から見ると、ひざをたたいて、そうか!というような知識が沢山ある。たとえば、上記などは広告業界の人たちにとっては読んでも新しい情報のない本かもしれない。私にとっては自分の場作りで使える凄く新鮮な情報だらけだった。視覚と聴覚を場作りに取り込むこと。今まで視覚が情報源の8割だから、なんていい続けて来た私にとって、聴覚をいかに使って情報を発信するか、という新しいチャレンジを与えてくれた。
セキュリティーの捕らえ方が日本とアメリカとちょいと違う。日本においての第一の理由は、社内のアイデアや情報が間違ってでも外部の人に盗まれないため。アメリカにおいての第一の理由は、危険人物を進入させないため。つまり、身の安全のため。
でもWYUKIさんとも話していたのですが、今やどのようにオープンにできるかがイノベーションの鍵だと思うのです。日本の大企業のセキュリティーは、ようするに外部のアイデアも中に入れない行為ともなっています。自分達のアイデアを第三者と検証することができない。ということは、どんどん独りよがりの会社になって行くということなんじゃないかなぁ。歴史は繰り返す。高い壁を立ててこもる人たちは、何時しか時代に取り残されていくということは、呆れるほど何回でも繰り返すんですね。
大企業の知り合いが言っていました。大したアイデアがない会社ほど、セキュリティーで騒ぐ、と。本田宗一郎も言っていましたよね。よくどこかから、大金を出すから最新商品の図面を売ってくれと電話がかかってくるけど、そいつは商品の設計ってどんどん進化していくから、図面を手に入れたって、次にどうなるかアイデアを出せない限り意味がないことが分かっていないんだ、と。
個人情報を守ったり、詐欺を防ぐためのセキュリティーなら納得できますが。
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